2006年09月27日

別居決行!

H17.10.25 ついに別居を決行した。

 子供達が歩きでも来られるところ、でも近所の人とは会わないように少し離れた場所のアパートだった。二人の娘は、荷物を運ぶのを手伝ってくれた。どんな気持ちで手伝っていたのだろう。三人で明るく買い物をしたり、お昼を食べたり、荷物をアパートに入れたりしたが、今日から私とは離れて暮らすことになるのだ。

 「いつでも何かあった時は電話ちょうだいね。」とは言っておいたが、夜寂しいからとか、怖い夢を見たとかでは電話はしてこられないだろう。父親への遠慮もある。

 夕方、家まで送っていく途中、先に泣いてしまったのは私の方である。長女が「ママ、ママは自分で自立するって決めた事なんだから、泣かないで頑張ってね。寂しくなったら、いつでも私達が行ってあげるからね。」そう言ってくれた。次女は私につられて泣いている。

 私と離れて家に入った後、あの子達はどれくらい泣いたのだろうか…。きっと、私と同じくらい泣いたに違いない。(今これを書きながら…いつもこのブログを書く時はそうなのだけれど、涙が止まらない。とめどなく流れてくる。)

 一人暮らしをはじめても、病気はすぐに良くなるはずはなく、毎日激しい動悸と、体のだるさ、熱っぽく頭痛が治まらない。一人になったからには生活費も必要だ。でもこの体調では働くのは無理だ。母に相談すると「今は休む時と決めて、ゆっくり体を治しなさい。」と言われた。実家に帰る事も考えたが、せめて、子供達が成人するか、大学を卒業して社会人になるまではそばにいてやりたい。男親には言いにくい事も出てくるであろう。

 別居して、1週間程たった早朝、私はいつもと違う胸の痛みに目が覚めた。息苦しい。以前から、時々この痛みがあったが、かかりつけの内科の先生に、喘息気味だと言われていたので、そのせいだと思っていた。なので、心療内科ではなく、その内科の先生の所に朝一で行った。もちろん車などないので片道40分の道のりを歩いて行った。

 病院について受け付けで「今日はどうされましたか?」と聞かれ、「朝から胸が痛くて…」というと、2〜3人の看護婦さんが出てきて、すぐに奥の処置室に通され、血圧と心電図と、血中酸素を測られた。

 先生が見に来てくれたが、急を要する事ではないと判断してか、順番が来るまでベッドで寝かせておいてくれた。

 結果は”パニック障害”。先生が言うには、心電図自体に問題はないが(不整脈とかがないという事)、脈が通常の倍の速さで打っている。「典型的なパニック障害ですね。」と言われた。その先生には前からうつ病で薬を飲んでいることも伝えてあるので、特に薬は出さないけれど、心療内科の先生とよく話をして下さい。と言われた。

 私はこのところの一連のことをかいつまんで話した。原因はそこにあると思うと言われた。私はその足で、いつもの心療内科に行く事にした。その内科から歩いて30分以上はかかる。私は痛い胸を押さえながら、必死に歩いた。

 心療内科の先生は、やはり”パニック障害”と診断した。そして薬が増えた。夜全く眠れないので、睡眠薬も2倍の上限まで出してくれた。「それでも、環境が眠れなくさせているのですから、3〜4時間眠れれば良しとしてください。落ち着いたらまた眠れるようになりますからね。」と言ってくれた。

 そして私は、市役所の精神福祉課に行き、精神障害者の手続きをして、それが通り、精神障害者3級の認定を受けたのである。

 夫からは何も言ってこない。らちがあかないので、知り合いの女性議員さんに相談に行く。その方は夫のことも知っており、夫の実家の人たちも知っている人だ。でも、私の泣きながらの訴えに「慰謝料をもらって、生活費ももらいましょう。話し合いの段取りは私が組みますから。とにかく体を治して、頑張りましょうね。」と優しい言葉をかけてくれた。ありがたかった。さすがは女性議員。女性の気持ちがよく分かってくれるなぁと感謝の思いで帰路に着いた。後で裏切られるのも知らずに……。

 その女性議員の段取りで、もう一人年配の男性も交えての話し合いになった。事前にその方と三人で会っている。夫もその方と会って、話をしているようだ。そして四人での話し合いになった。女性議員が「言いたいことを言ったほうが良いわよ。」と言うので、私は、今までのことを全部泣きながら話した。夫も良く覚えていないが、何か言っていた。そう…、「病院に行くたびに医者から、3ヶ月辛抱してください。そうすれば良くなっていきますから…。と言われたが、何度病院を変えても、3ヶ月たってもちっとも良くならない。」と半分怒ったように言っていた事は、おぼろげながら覚えている。私と夫の話を聞いて、女性議員とその年配の男性の出した結論は、1ヶ月くらい猶予を持って、別居してお互いに考えてみる事だというものだった。

 その席でその女性議員の発言に私は驚愕した。「あのね、私のとても仲が良かった友達が遠い県に引っ越してしまってから、うつ病にかかってしまってね、動けない状態だったらしいのよ。それに加えて、旦那さんの暴力があって、とっても大変な思いをしたのよ。夜中に何度も電話があって、いろいろ話を聞いてあげたけど、ゆいちゃん、あなたはうつ病って言ったって、まだ良いほうよ。その人は動けなかったんだから。」と言うのだ。

 私はうつ病になって、5年が経っていたし、その間に動けなくて、這ってトイレに行った話を、たった今ここでしたばかりなのである。それに、夫が暴力を振るわないと言ったって、”言葉の暴力”と言う事があるのをこの人は、議員でありながら知らないのだろうか…。この人に相談した自分を恥じた。結局地元でもともと夫の実家の親兄弟と知り合いだし、私の見方になってくれるはずがなかったのである。ちなみに実名は出すのはやめておくがK党のT.M.という女性議員である。

 私は絶望のどん底に陥れられた気持ちがした。   byゆい
posted by ゆい at 17:49| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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